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ゴスペルクワイヤーで歌う人がボイトレをするべき3つの理由

東京新宿・目黒区・オンラインとレッスンをしてます大人のボイトレ教室のフェルナンデスユウコです。

コロナ渦でかなり苦しい状況だったゴスペルグループ界隈、すこしずつ活動が戻ってきているようです。

私達をいつもエネルギーで満たし勇気をくれるゴスペル音楽。

日本でもスクールやディレクターがコロナ禍でもさまざまな努力をして対策をして、教室やグループを継続する努力を重ねてきていますね、

私もかつてゴスペルをたくさん歌い続け仕事をしてきたものとして陰ながら応援をして入りました。

でもまだまだ厳しい状況で、活動が再開できていないとか、できていてもイベントやコンサートの回数が極端に減ってしまってる、などという話もまだ聞きます。

でも、個人の声の力を見直せる時かもしれません。

目次

ボイトレで個の力が上がれがゴスペルが変わる

普段歌っていて楽しいし、とても気持ちいいけど・・・

練習のあとは喉がすぐ喉が痛くなる!

よく聞くとハモれてない・・・

自分の歌を後から聞くと思い描いていた賛美の歌と全くイメージが異なる!!ことなどありませんか?

それ、もったいなくないでしょうか。

ゴスペルを歌う人こそボイトレに取り組み、個人の声の力と歌の力を上げていった方が良い!

コロナは関係なく常にそう思ってましたがそれにはいくつかの理由があります。

ゴスペルを歌う人がボイトレをするべき3つの理由

大勢で歌うから

まず最初に最も大きな理由がこちら、

ゴスペルは大勢で歌うからです。

大勢で歌う。当たり前ですよね。これこそがゴスペルの醍醐味!

ですが、大勢で歌うということは、自分の声がよく聞こえないことでもあります。自分の声がもっと聞こえるように、と片耳抑えながら歌ったりしていませんか?

自分の声が聞こえにくくなると、
・ハモリの音を見失いピッチを外す
・声をよく聞くために大きくがなった声を出し声を枯らしてしまう。

こんな話もよく聞きます。

また、ライブの時でも一人一本マイクを与えられることの方が稀なので(コロナ禍以降は少し変わったところもあるようですが)、自分の声がぼんやりとしか聞こえないっていうのはかなり多いんです。

この環境、習う立場としてはあきらめなければいけないかというとそんことはないはずです。

本場のアメリカではゴスペルは基本教会の礼拝で歌うものなのでそもそもマイクなどありません。

ですが音を外しまくってハモリがとっ散らかったり、ガナり声でひどい声になってる本場のクワイヤーはみたことありません。

でもなぜ日本の個人レベルではそういうことに陥りやすいのか。

これは基礎的な声の力や音程の安定さがないのが原因の一つです。

発声や歌は「運動」的な要素が強いです。基礎的な運動能力がしっかり育まれていると、環境が多少悪くてもあまり動じません。

また、音程の安定さも声帯の筋肉運動によるもの。バスケの選手が何度も繰り返したシュートを反射的に入れられるように、声帯が音の階段を記憶していれば極端に外れることはありません。

もちろんモニタリングがでできているほうが圧倒的に良いのですが、どんな環境においても、しっかり響く声を引き出せる身体になっているか、安定した音程をたどれる柔軟な声帯を持っているか、とても大切です。

これらはもちろん、基礎的なボイトレをするからこそ育まれるものなんですよね。

黒人ゴスペル教会で歌ってきたアレサもホイットニーも、小さい子供の頃からしょっちゅう教会で歌ってきた。成長段階の幼い頃から、自然とトレーニングをしてきたのですよね。

感情に持っていかれやすいから

歌で最も大事なものは何か?と聞かれると、それはやっぱりハートです。想いであり、感情です。

想いをのせたさまざまな感情表現が、身体と同化して声に乗って外に送り届けられた時に人は感動をします。

ゴスペルは特にそもそもが宗教音楽。

日本でも、クリスチャンのグループはもちろんのこと、そうじゃなかったとしても、ゴスペルの持つ感謝の気持ちや思いやりを胸に歌を歌っていたり、絆を大切にし仲間意識が高いグループはとても多いです。

内面的な要素を帝時にしているのですね。

でも、感情に自分が溺れてしまうと自己満足になってしまうんです。

たとえプラスの感情でも暴走すると大切なものが置いてけぼりになります。

歌の場合置いてかれてしまうのは、声を出す「身体」そのものです。

身体が置いてけぼりになるということは、歌としての「楽器」がうまく扱われてないことになるので、結果として思い通りの発声や歌声は出せなくなってしまいます。

しかし、基礎的なボイトレや、歌の表現の練習をしていくと、余計な力みがとれていくので、感情が顔の表情を含めた身体を通して声に乗っていくことができるようになっていきます。

身体と感情がしっかりとリンクをして、「声の自由度」が増すのです。

ゴスペルのように人の気持ちをそのまま表す音楽こそ、感情と楽器としての身体は手を繋いで走っているべきだと思います。

ただし、この二つめの理由は、ノンクリスチャンのゴスペルの方々だけが当てはまることかなと思います。クリスチャンの方々が歌を届けるの先にあるのは「神」なので、感情が声や歌を追い越して先を駆け抜けていくこともありますからね。

一人の力が皆の力になるから

これは1つ目の「大勢で歌うから」という理由とも繋がってます。

ゴスペルは大勢で歌います、それゆえ、一人の歌声はさほど目立たないのではないか、影響はないのではないかと思われがちです。

でもこれって大間違いなんですよ〜!(ドキッとした人は正直に手をあげよー!)

自分一人くらい音がすこしずれてもきっとわからないよね〜

この高い音がちょっと届かないけど彼がちゃんと出るから俺はいっか

あ・・・ここの歌詞覚えてないな〜ま、誤魔化せるよね!

こんな風に考えていたことある人は多いのではないでしょうか?

私もそんな頃がありました(笑)でもね 一人の影響って少なくないどころか、実はものすごく大きな影響があります。

1曲をまるっと練習したことがある人はわかると思いますが、小さくてこまかーい気遣いの積み重ねです。一箇所だとたいした変化には思えないものも、積み重なるとすごい変化になるんですよ。

一部分の歌い方をアドバイスに従って気を付けてみただけで、フレーズ全体が明るく聴こえたり、全体的にシャキッとなったり。。

歌っててそう感じたことありませんか?

グループとして考えてみても同じです。一人の声の力、歌の力が今より少しでも安定してパワフルになっていけば、そのグループ全体の歌のエネルギーは格段にアップします。

一人の力がみんなの力を上げてくれる。ラグビーの One for all , All for one と同じ。

一人の歌はみんなのためになるしみんなそれぞれの歌は一つの曲につながっていく。

たとえ自分に50%しか力がなくても一人で100%まで頑張らなくていいの。10%だけアップしてみてください。10人がそれぞれ10%だけその力をアップさせれば、それだけで一人分パワーアップしますよね。

自分が10%だけがんばれば、その歌のエネルギーは一人分も増す。これはゴスペルの素晴らしさの一つだと思います。

自分が所属しているゴスペルグループが好きだからこそ、大切だからこそ、自分一人の力を底上げしていくこと、とても素敵ですよね。

ゴスペルでボイトレはできるのか

もう一つだけ追加しておきたいのは、ゴスペルでボイトレができるか、またゴスペルはボイトレの代わりになるか、ということです。

結論から言うと基本的には代わりにはならない、NOです。

ゴスペルというのは大人数でゴスペル音楽を歌う、各パートのハモリを練習するというのがメインの活動です。

もちろん全体的にこの歌をどういうふうに歌っていこうとか、うまくいかない部分はここを気をつけようということはありますが、一人一人の癖や特徴に合わせて発声や歌のアドバイスを受けるというのはあまり多くないようです。

まだゴスペルグループや教室を探している方で、その練習内でのボイトレを期待して入ろうとした方にも会ったことがありますが、ボイストレーニング目的であればボイトレ教室を探す方が無難です。

しかし、歌うことそのものに発声の筋トレ的な要素、ボイトレ的な要素がもちろんあります。

最初に伝えたように無理してがなったり音程を見失わないような工夫をできれば、歌の素晴らしい機会になるかなと思いますよ。

ゴスペルという素晴らしい音楽を自分の感情のままに歌えないなんて、自分という楽器を活かしきれないなんてやっぱりちょっと勿体無い。

でも、声と歌の土台を強化できれば、喉を枯らしたりすることもなく、もっと気持ちよく歌えるようになり、その醍醐味をさらに味わえるはず。

ゴスペルは数年単位の長いスパンで習ってる人が多いようです。幾つになっても楽しめるような工夫をぜひしていってくださいね!

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