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プロとアマの意外だけど大きな差

こんにちは 東京新宿・大人のためのボイトレ教室Harmoniaのフェルナンデス由布子です。

お金と時間を使って見に来てくれるお客様の前でステージに立ちマイクの前で歌うときは、プロとアマの差など無いのかもしれない。

どんなに無名であっても、その歌や音楽で多くの人の心を動かすのであればそれは唯一無二の存在価値をもつだろう。一方、どんなヴォーカルレベルであろうとお客様をたくさん呼べる人のほうが金銭的な価値を生み出すはず。

でもねでもね、プロとアマチュアの差は、意外な所にあるのですよ。

ライブ中にお水飲む?

ボーカルとしてステージに立つ機会が一度でもあった場合は、歌の良し悪しのみならず、ステージングにも当然意識がいくものです。

衣装はどうする?
MCは?
マイクはスタンドかしら、それともハンド?
譜面台は、、置かないよねえ、、
水はペットボトルに入れるの?

なんてことにいろいろ頭を悩ませたりします。

参考まで。

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[clink url=”https://voiceandsoul.me/column097/”]

 

こういう事に思いを巡らせ努力をしていくことは必要なのだけれど、でも実際のところ、最終的にたどりつきたいのはそんな小手先のテクニックではない、と思い知った瞬間がありました。

7月の半ば、ちょっとしたご招待を頂きBLUENOTE東京にホリー・コールを見に行ってきたときのこと。

歌はとにかく素晴らしかった。
玉虫色の声と言うのでしょう。
声の音色はありとあらゆる角度から色彩を放ち変化していく、素晴らしく豊かな歌声。

 

で、ホリーコールは、ライブ中にかなりお水を飲んでいたのですよ。
曲間のみならず、バンドのソロ回しの時も自分は休んで椅子に座ることもあり、その間かなりグラスを口にしておりました。

 

一方で、20年位前ゴスペルのお仕事を始めた当初、先輩の黒人歌手に「1時間くらいのステージなら水は一切飲まないでやれるよ、それくらいのプロ根性が必要だよ」的なことを言われたことがあります。

 

それは、一昔前のスポ根的な考えかもしれ無いし、(彼は当時60代に近いベテラン。黒人ならではの苦労もそりゃあしたそうです。)
私はのどが乾燥しやすいので「咳き込むよりは」とあまり気にせず水を飲んでました。

とはいえ、それでも、ペットボトルからがぶ飲みなどせず、ストローをさして飲むようにしたり、目立たぬようにコソッと飲む時間を設けたりしてました。
(あとペットボトルのブランドがわかるラベルは取るのが原則です。お客様がどんな会社や企業に携わってるかわからないからという、ちょっとした配慮ですね)

でも、ホリーコールはですね、

微笑み、美しいピアスをキラキラ靡かせながら優雅にグラスを手に取ります。
そしてごっくん。(たぶん)
コソコソなんてしやしません。堂々たるもの。

彼女のその美しい所作から、
そのグラスの中にはまるで
「飲めば美しい歌声が手に入る魔法の水」
が入ってるかのように見えたのです。

これぞ、プロ。

ただの水で喉を潤わす行為さえ、エレガントなパフォーマンスに見えてしまう。

 

かと言って、ホリーコールが、それを意図していたというわけではないはず。
それはもう飾らない自然体の姿。

そこから醸し出す余裕ではないかな。今まで築き上げてきたものへの自信があるからこその「自然体」。

かっこつけなくたってかっこいい

そのホリー・コールを見に行った一日前に、ボイトレのお師匠のバンドのライブを見に行ったときも同じことを感じたんです。

ヴォーカルのお師匠もCMでその声を聞かなかった日は無いような人だし、ミュージシャンもうちの両親でも知ってる超大物歌手(タレント歌手ではなく)を長年サポートされていたり、日本中が知ってる曲の作曲をされてるような、そんな方々のバンド。

演奏も歌も脳天にガツンと衝撃がくるほどかっこいいしキマってる。
でも、MCもメンバー同士のアイコンタクトも、驚くほど自然で飾らない。大きなライブにあたっての緊張もプレッシャーも敢えて隠さず口にされたりもしていました。

アマチュアであればあるほど、自分たちを「大きく見せよう」「かっこよく見せよう」としてしまうもの。でもそれがないのです。

だって等身大ですごいんだもんね。築き上げてきた自信の賜物がこの自然の姿なのだろうな。

 

 

もちろん、どちらの例も、「圧倒的にハイレベルな音楽」があるからこそ。
飾らない自然体の姿も、ピッチや音程が狂った歌の元では野生の雄叫びでしかない。

だからこそ、地道に歌力を養っていくことが大事なのは間違いありません。

でも、最も大切なのはそのプロセスなのかもしれません。

コツコツと、これでいいのかと不安を覚え振り返りながらも、一歩ずつ自分の道を歩む先にあるものは『自信』です。

最初は危うく脆い『自信』も歩み続けることできっと立派な姿になる。そこにこそ飾らぬ自然体が宿るはずだから。

 

 

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