こんにちは 大人のためのボイトレ教室Harmoniaのフェルナンデス由布子(@fernandesyuko)です。
歌とスピリチュアル的なサービスはかなり親和性が高いです。
声というのは目に見えないし空気の振動であるので、「波動」とか「エネルギー」などといったスピリチュアル的なイメージワードと相性がいいのですよね。
私も「波動」は使わないけれど「エネルギー」は レッスンなどで時々つかいますから。
また、歌が好きで上手になりたいと思う人や声を整えることの大切さをわかっている意識の高い人は、目に見えないスピリチュアリティへの理解も深いです。禅や瞑想にも興味があったりしますしね。
私自身、心と身体と声の関係は密接なのを知っているので、メンタルからのアプローチや身体にフォーカスしたレッスンをすることも多いです。スピリチュアルな話題だってむしろ好きな方。
こちらでもお話ししております。
でもね、声・歌とスピリチュアルは少し切り分けて考えた方が良い。目的や選択を誤ると後悔だけではすみません。発声によくない癖がついてしまったり、喉を痛めてしまったりします。
「これはどうなんだろう?」と迷った時見極めるポイントをお伝えします。
スピリチュアルセッションだけで歌は上手くならない
改めて伝えておきますが、スピリチュアル系のセッションやワークを否定しているわけでは全くありません。
そのほとんどが歌や声を一つのツールとして考えて、自分自身のメンタルなり潜在意識なり魂なりが浄化され癒され次の次元へと行くような、そんな目的を持ったセッションやワークになっています。
そこに何の問題もありません。そこを目的とするならば納得するセッションを選び好きなヒーラーから思うように学べばいい。そう思います。
ただ時々「一緒に歌ももっと上手に歌えるようになる」とか「声も同時に変わっている」というふうに伝えているところもあるのです。そこはちょっと注意が必要です。
なぜなら、発声は運動の一つであり楽器としての身体を整えることが先決です。確かに心は密接に関わってきますが、身体そのものの使い方やそれを習慣化させる理性的な方法を無視することはできません。
また、歌は自由なうちなる表現を解放できるものではありますが、そこには音楽的な秩序が土台にあります。それがない表現はただの自己満足です。
もちろん自分が良いなら自己満足の歌でも構いませんが、それでは「歌がうまくなる」ことはありません。
スピリチュアルやメンタル系のセッションなのに「同時に歌や声も・・・」と書いてある場合はまず警戒してください。
その場合には、下記の3つのポイントをチェックしてくださいね。
①論理的な話の展開があるか
世の中には目に見えないけれど確実に存在するものがあり、全てが論理的に説明。
科学的な裏付けもエビデンスもなくて構わないものです。
ただ、声や歌が関わっている以上、目に見える「身体的な化学反応」は必ず起こっています。そこを仮説であれ自分の経験を交えて具体的に説明をしているようなセッションなければ、声や歌は変わりません。変わったと思ってもほとんどがプラシーボ効果みたいなものです。
ここで伝えたいのは「具体性が大事」というよりも自分が「思考停止してないか」見極めるということです。
歌や声にかかわらずですが、スピリチュアル(特に怪しいもの)は、創始者なり伝え手の独自の理論が展開されています。
ポエムのような何が言いたいかよく分からないふわふわワードが散りばめられたページで「気がついたらこうなってました」「もうやるしかないんだよね」と突然出てきて、そのまま申し込みボタン・・・・みたいな恐ろしい構成になってるサービスも少なくありません。(最近は少し減ったようですが。)
伝え手がその人自身の言葉で、そこに至った経験や心境を具体的に語っている内容なのかどうか、きちんと見てください。
そして自分がそのどの部分に共感するのかわかるくらい、思考を停止せずに考えてみてくださいね。
②高揚感に騙されてないか
声は音、音は空気の振動です。まさに空気を震わせ変化させるし、その源は自分の呼気。エネルギーをものすごく使います。それだけで少し気持ちは昂るんですよね。
また大勢で何かを成し遂げるといったカタルシスを感じるようワークがあった場合、それだけで高揚感が増します。そういう時ひとは冷静さを少しずつ欠いていく。
実際の生徒さんの経験ですが、スピリチュアルヒーリングから声も歌も変わるという連続セミナーに参加したそうです。終了後は一体感を味わって気分も高揚して個別セッションに申し込んだ・・・ものの帰宅して冷静に見るとやっぱり尋常な価格じゃないと思ったそうな。。
気がつけば喉も痛いし体も気持ちよくない。大勢の仲間とのステージで気分が上がって気持ちいい!でも落ち着いてみると歌や声は変わらない・・・・とめちゃくちゃ後悔されていました。
サービスに対する価格は自由ですし価値の感じ方もひとそれぞれ。ただ高揚感に騙されて価値を見誤らないようにしましょう。
③伝え手は歌手なのかボイストレーナーなのかヒーラーなのか
歌と声とスピがごっちゃになっているセッションは、伝え手の立場が中途半端なことがあります。さまざまなパターンがあるので例を出しきれませんが、全ての立場で中途半端なのです。
もし少しでも「声や歌も変化する」「歌も上手くなる」というスピリチュアルなセッションがあれば、よく講師の経験を見極めてください。声や身体、発声の勉強や指導の経験があるのかを確認してください。
また、彼らが歌がうまくて音楽経歴が豊富だったとしても、だからと言って教えることできるわけではありません。別の知識と技術、聴く力と見る力が必要なことも知っていてください。
逆に、スピリチュアルな側面でも信用に足るものかきちんと精査してください。歌や声関連にかかわらず全てのスピリチュアルに関して思うのですが、きちんと当たり前の生活ができている人かも、注意しておいた方が良いと感じています。
スピリチュアリティは当たり前のように日常に転がっているのに「地に足がついていない」とか言われちゃうのはこの「あたりまえ」ができない人も多いからだと思います。
・身の回りの家族や友人を大切にできない
・規則正しい生活ができない
・部屋がやたら汚い
・言ったことを守れない
・時間を守れない
全て実際に私自身や家族、親しい知人が直接体験したことからです。家族の生活が破綻してしまった人もおりました。宇宙とか地球とかいう前に、まず自分のまわりをきちんとしていることが大切ですものね。
そしてもちろんもちろん、経験を積んでる途中のボイストレーナーやセッションワーカーたちもいるので、そこは理解が必要ですね、その上で価値に見合った正当な価格になっているかを確認することも必要です。誰でも下積み時代はありますから。
心と身体と声は密接な関係がある
それでもです。
ここまでスピをこき下ろしていてなんですが、私はメンタル面の変化が声と歌にものすごく変化を与えたことを経験しています。
霊感の強い夫と、兄の死を通してスピリチュアルな領域にも踏み込んでおり、上述したとおりシータヒーリングプラクティショナー(基礎DNA修了)でもあります。
レッスンでも使っていますが今はメンタルに特化したカウンセリング系のセッションも準備中です。
なぜかといえば、喘息をきっかけに自分の隠していた想いと人と比較ばかりするメンタルに気がついたからです。愕然として落ち込むところまで落ち込みました。
そこから潜在意識や心理学、メンタルヘルスなどを学びつつ、ボイトレをし身体と心と整えて行ったのです。どちらか片方だけでは今のように歌えなかったと思います。
だからこそこのあやふやな領域を言語化するのは難しいこともよくわかります。「やればわかる」「くればわかる」と言いたくなるのもわかります。
でも私がこんな発信をしてるからか、声歌スピ系のセッションに行って何も変わらず後悔していたり、お金使って喉も痛めてっていう人が少なからずレッスンに来るんです。
そんな人たちがもう困ることないように、思考停止にならず冷静に考えられるような内容をお届けしていきたいな、っていつも思っています。
メンタル系に特化したブログはこちらにあるので興味ある方は是非チェックしてくださいね。(今後増えていく予定)
最後に、繰り返しになりますが、今回は「声や歌もよくなる変わる」と語っている、声や歌を使ったスピリチュアルのお話に限っています。声や歌をツールとしてのみ捉えているセッションなどの話ではありません。
そこは誤解なきようお願いします。
でも、どんなセッションであれ、私たちは思考停止をせずにしっかりと具体的な内容を見て価値を感じていきたいですね。それが相手への敬意にもなりますから。
自分が何をしたいのか
ここまで書いてきたように、歌が上手になりたい、声をよくしたいという思いがあるなら一般的なボイトレに行った方が近道です。
スピリチュアル的な魂の解放なり表現なりを目指すならスピリチュアル系セッションがベストでしょう。
その線引きを間違えなければ大丈夫なんです。
ただ要注意なことがあります。
時々「本当は歌がうまくなりたい」とか、なんなら「実は歌手になりたい」という強い気持ちがあるのに、スピリチュアルやメンタルの解放などを隠れ蓑にしてる場合があるんですよ。
良い歳して歌手として活動したいなんておこがましいし恥ずかしい
スピリチュアルなら別に下手でもいいわけできるし・・・
胸に手を当てて今一度考えてみてください。選択はもちろん自由なのですが、この根本を騙していると欲しい結果が得られるはずはなく、苦しみます。
思い当たる節があるなら迷わず一般のボイトレの門を叩いてください。
幾つになってもどんなあなたでも、遅すぎることもやってはいけないこともありません。誰もに扉は開かれています。